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- 志戸平温泉の歴史5 “私の名前は六代目善太郎?”の巻
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2010.01.16 SaturdayJUGEMテーマ:岩手県
前回は、温泉の源泉が岸壁から湧き出ていた
というというところまで書きました。
当時のお風呂は洞窟風呂でその上部に窓があったので
「マドの湯」と言っていたようです。
現在も対岸に見えます。
川には丸太橋を架けて歩いていったようです。
夜は、提灯を片手に入りに行ったということです。
ものすごい風情を感じますが、
雪の日や川の水が増水した時は大変だったと思います。
また、文献には、志戸平温泉について
「天王山の麓(天王地区:ホテルから見える橋を渡った対岸の地区)
より沸き出でる温泉を八十二間の筧(樋)にて引き、
温泉場として再興してより・・・」とあります。
近隣の人たちがこの湧き湯口でワラビを茹でたことから
「わらびの湯」といわれたとありますが、
それがどの温泉を指すのかはわかりません。
皆さんは、山菜のあく抜きになべの水に重曹を入れると思いますが、
あれはアルカリ性にしてあくを取りやすくするためです。
志戸平温泉の泉質は弱アルカリ性ですから、
あくが取れやすい温泉ということになります。
昔の人も、知っていたんですね。
2代目は、萬次郎という名前でしたが、父善太郎が亡くなると、
「二代目善太郎」」を名乗りました。
もし、その後も“善太郎”を名乗り続けていれば、
私は「六代目善太郎」ということになります。
いまも旅館で○○衛門とか○○郎を代々襲名している
ところがあります。
例えば、宮城県秋保温泉の佐勘 さんの、現在の当主は
34代目(!)佐藤勘三郎です。
次回に続きます。
- 志戸平温泉の歴史4 “久保田家の初代”の巻
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2010.01.10 SundayJUGEMテーマ:岩手県
久保田家本家の5代目、
平助の長女のイツに婿をとる形で始まったのが、
善太郎を初代とする志戸平温泉の始まりです。
ちなみに、イツの妹キクが嫁いだ先の叔父が
新渡戸稲造であるということで、私の父(大作)は生前、
五千円札の肖像になった時、
「この人は、うちの親戚だからな・・・。」
と自慢げに話していたのを覚えています。
岩手に帰ってきた折には、時々、志戸平に湯治に来ていたようです。
それは、このような縁によるものかもしれません。
初代善太郎が、25才で、妻イツが17才の時といわれており、
善太郎は60才(元治元年・1864年)で亡くなりますが、
イツは明治23年の78才まで生きています。
当時の敷地は豊沢川沿いの平地
(現在の「天河の湯」から「游泉志だて」あたり)と
それを囲んでいる雑木林の約十町歩(10ha)くらいあったようですが、
温泉の源泉は対岸の岸壁からの湧泉であったようです。
今回はここまで。
次回は、当時の温泉風呂の様子について、書きたいと思います。
- 志戸平温泉の歴史3 ”久保田本家と温泉業” の巻
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2009.12.01 TuesdayJUGEMテーマ:岩手県
前回のつづき。
本家・久保田家(屋号・晴山)と温泉業のお話です。
本家・久保田家が温泉業を始めたのは、三代善助(安永7年、1778年没)の時代に大沢温泉に温泉場を造ったという記録が残っています。
たぶん、志戸平温泉も同じ頃に所有し、木賃宿(部屋を貸すだけで薪代として宿銭を取る。)として始めたものと思われます。
ただし、大沢温泉は本家の直営で、志戸平は番頭(支配人)営業として代々引き継がれていったようです。
五代平助(四代、五代と平助が続きます。安政元年、1853年没)、六代平造(明治17年、1884年没)の時代に
全盛期を迎え、前述のような豪農として栄えました。
おそらく、そんな状況の中で、志戸平温泉も宿屋を増築増床したと
思われ、この際、分家とし独り立ちさせようということになったと
思われます。
そして、番頭であった者を平助の長女で、平造の姉に当たるイツの婿とする形で、善太郎と名乗らせ、ここに直系分家11分家あるうちの10番目として志戸平・久保田家が始まったということです。
ちなみに、いまでも本家を中心に久保田一族の直系分家11家系の付き合いは続いています。なんか、横溝正史の小説にでも出てきそうな話ですが・・・。
次回は、いよいよ志戸平・久保田家の話へと入っていきます。
乞うご期待ください。
- 志戸平温泉の歴史2 ”創業当時の様子” の巻
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2009.11.12 ThursdayJUGEMテーマ:岩手県
志戸平温泉の創業は、天保元年(1830年)ですが、
その当時の社会状況はどうなっていたか?
「伊勢御かげ参り 」という、いうまでいう“旅行ブーム”
が起こっています。
全国から伊勢神宮にお参りに行くのが、大流行したのです。
また、翌年(1831年)にロシア船が蝦夷(北海道)に侵入
してきて、役人(東北の藩士)を交戦しています。
そして、創業間もない天保四年から七年まで「天保の大飢饉」
があり、花巻地方でも多くの餓死者が出るという時代でした。
志戸平温泉の創業は、初代善太郎、二代善太郎(同じ名前を継いだ)、
三代音治、四代逸郎、五代大作と続いてきたのです。
そもそもの久保田家のルーツを理解してもらうために、今回は、
本家(屋号・晴山)の話を中心にしたいと思います。
もともとは秋田藩の藩士だったようですが、関ヶ原の戦いで徳川方に
味方しなかったために久保田城を追われ、奥羽山脈を越えて来て、
いまの西晴山地域(志戸平から花巻市内方向に3km程進んだあたり)
に住み着いたのが始まり(本家)のようです。
本家の初代は江戸中期の1700年前後、善三郎という人が始まりと
されていて、二代善右ェ門、三代善助、四代平助と続きます。
(なぜか、“善”の付く人が多いです。)
地元の新田開発や治水、潅漑工事に尽力貢献しながら、
大きな財力を持つようになります。
花巻市内から自宅までの約8kmを自分の田んぼだけを通って帰れる程の
富豪一族になったようです。
ということで、次回は、さらに詳しく本家と温泉業についてのお話を
したいと思います。
- 志戸平温泉の歴史1
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2009.10.24 SaturdayJUGEMテーマ:岩手県
志戸平温泉の創業は天保元年(1830年)と言われており、
来年はちょうど180年の節目にあたる年になります。
たぶん、全国では180年以上の歴史のある温泉は
たくさんあると思いますが、それが、一つの家系で、
しかも直系(養子などでなく、嫡子が代々継いでいる)で
続いているところは、少ないのではないかと思います。
そこで、今回から何回になるかわかりませんが、
父(五代目大作)が書き残したものや久保田家の家系譜から、
「志戸平温泉の歴史」を書いていきたいと思います。
温泉の由来は、今から1200年程前の延暦年間に、
征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討の折に
「近くに霊泉がある」という観音様のお告げにより、
この温泉を発見し、将兵の創傷を癒したと
伝えられたことから始まります。
“志戸平”の地名は、アイヌ語の「シドタイ」から来たものと言われ、
「川下の平らで広い所」の意味ということです。
(祖父・四代目逸郎の話)
郷土誌には“尻戸ヶ平”とか“志度ヶ台”と出てきます。
戦前は、「しだて」または「すだて」と呼ばれていたようですが、
戦後に「志戸平(しどたいら)」と統一したようです。
−「游泉志だて」はここから命名したものです。
「奥々風土記」という書物には、寛永年間(1624〜1642年)に
『花巻の里の正西の湯口村にあり。萬の病に験あるか中に
滄疥(はれもの、かゆい皮膚病)の類には最もよし』
という記述があることから、江戸時代前期には温泉として
知られていたようです。
同じように古い歴史を持つ大沢温泉と鉛温泉は
江戸中期(1750年代前後)の発見とされています。
しかし、建物を建てて(木賃宿)の業は、大沢温泉が
『寛政三年(1791年)久保田善助なる者、
温泉場の改良につとめ・・・(中略)・・・後、
久保田平造もまた、父・平助の意思を継ぎ、
大いに改良せしより以来、日に増し繁盛す。』
とあり、久保田家の温泉業は、
大沢温泉が始まりであるということがわかります。
ここからなぜ、今日に至ることになったかというドラマは
・・・・・次回に続きます。
- 花巻東高校と熱い夏
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2009.09.04 FridayJUGEMテーマ:高校野球今年の夏は、氣候的にはあまり暑くはありませんでしたが、
岩手・花巻にとっては花巻東高校の甲子園での活躍で
大変熱く盛り上がりました。
「もしや、優勝か?」という思いもありましたが、
“岩手の野球”の存在感を十二分に発揮できたし、
たくさんの感動をもらうことができた素晴らしい夏だったと思います。
私が特に感動したのは、準々決勝の明豊戦で8回裏に逆転されたとき、
ベンチに戻ってきたナインを、みんなが笑顔とハイタッチで 迎えた場面です。
菊池投手が降板し、あと1回の攻撃しかないという
追い詰められた状況の中での笑顔と明るさに
感動させられました。
「どんな苦難やピンチに遭っても笑顔と
明るさ(元氣な言葉)を忘れない!」
を身をもって教えてくれたような氣がします。
それが、9回表の同点となり、延長戦の勝ち越しに繫がったのですから・・・。
本当に素晴らしい夏でしたし、学ばせてもらいました。
ありがとうございます。
- いよいよ総選挙です2
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2009.08.13 ThursdayJUGEMテーマ:選挙
前回のつづき。 民主党についてです。
官僚主導から政治家主導の政治への改革を謳っています。
しかし、どんなに素晴らしい政治家がいても
官僚(役人)が動かなければ前に進みません。
私は、かつて特消税の撤廃運動で霞ヶ関の人達と
交渉や接渉したことがありますが、
彼らは実に老獪(ろうかい)で狡猾(こうかつ)な人達だと 実感しました。
“面従腹背”的な抵抗にあうことも予想され、
不安に思うところです。
「不信の自民、不安の民主」
ということも言われています。
もう一つ、今回の選挙で際立っていることがるのですが、
マスコミはほとんど取り上げません。
それは、「幸福の科学」という宗教集団が
「幸福実現党」という政党を立ち上げ、
ほとんど全選挙区に立候補者を立てて戦おうとしていることです。
マスコミは、「諸派」という一句で片付けていますが
(あえて無視しているのかもしれませんが)、
今後の動向がすごく氣になるところです。
いづれ、本当の民主主義を目指す為には、
「政権交代」は必須条件であると思います。
その政党に政権担当能力があるのかどうかは、
問題ではなく、政権交代ができる環境をつくって行くのが
民主主義の原点であると思います。
- いよいよ総選挙です
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2009.08.08 SaturdayJUGEMテーマ:選挙
昨年の10月ころから、いつやるのかと
右往左往していた衆議院の総選挙が
8月30日に行われることに“やっと”なりました。
これから暑い夏の戦いが全国で始まることになるのですが、
観光業界に冷水がかかるようにならなければいいなぁ、
と思っています。
さて、いまのマスコミ報道や政党の主張を
聞いていて感じていることをいくつか述べます。
自民党について、
だいぶ逆風の中にあって党内が混乱しているように感じますが、
選挙はやってみなければわからないもの。
でも、本当に勝とうとしているのか疑問です。
なぜなら、たとえ勝っても“ねじれ国会”はかわりません。
むしろ、今以上に国会運営は難しくなると思います。
「勝ったらどう国会を運営していくのか」ということは語られていません。
つまり、勝つことは無いということが前提で、
戦っていこうとしているような氣がします。
民主党については・・・また別の日に。
- 小学校の思い出
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2009.07.10 FridayJUGEMテーマ:ひとりごと
今から6年前に、私も卒業生である
湯口小学校が創立130周年を迎え、
その記念として「百三十周年記念誌」を出すということで、
当時の思い出の機構を依頼されたことがありました。
今日は、そんな小学校時代の思い出を書きたいと思います。
私は保育園に行くのを3日で止めるほどの
学校嫌いでした。
小学校への入学式も行くのがイヤで
両親に大抵抗しました。
ほとほと困り果てた父親が
「どうしたら行ってくれるか?条件を言ってみろ!」
と言われ、6歳の頭で考えた精一杯の金額の
「3千円くれたら行ってやってもいい!!」
と答え、父親から「先生に見つからないようにしろよ。」と、
胸ポケットに入れられ、
ドキドキしながら登校したのが私の小学校の始まりです。
しかし、以来5年生の時に扁桃腺で入院するまでは、
一度も学校を休んだことがなく、
大雪や吹雪で電車が止まったときでも、
2時間かけて歩いて学校へ登校し感心されたものでした。
もう少し、思い出があるのですが、
氣が向いたら書きたいと思います。
- ETCの1,000円割引きを考える
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2009.06.04 ThursdayJUGEMテーマ:ニュースに一言
土日祝日の高速料金1,000円という
割引き制度がスタートしています。
今年のゴールデンウィークは、全国の観光地が
これで大いに賑わい観光の活性化に繫がっている
という様な報道がされています。
しかし、
「本当に観光振興に役立っているのだろうか?」
と疑問に思うところがあります。
土曜や日曜は基本的には人が動くときです。
高速料金の割引きは、それに拍車をかけるだけで、
反面、平日の観光を減らしているのではないのだろうか、
ということです。
心理として
「平日でも休めるんだけども、どうせ行くなら土曜日にしよう。」
ということです。
本当に観光の活性化を図るのなら、
平日を1,000円にするほうがずっといいと思うのです。
全日が無理でも、月曜と火曜日だけでも、
1,000円にする方がいいと思うのです。
物流業界も助かるのではないのでしょうか。
お盆期間も1,000円にする案もあるようですが、
愚作だと思います。
